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「1945年夏、満州に残されたナチ」(宍戸大裕)

2013年6月10日

先日、14時の回が終わった劇場で、長身でハンチングを被った
年配の男性が、「素晴らしい映画でした・・・。いやあ、昔を思い出してねえ」と
声を掛けてくれました。
3日にNHKで放送された「視点・論点」を観てユーロスペースへ
足を運んだという男性は昭和11年、大連生まれ。
9歳の時に迎えた敗戦、そして始まった満州からの引き揚げ時の思い出を話してくれました。

敗戦も近づいた大混乱の中、両親と2人の弟妹と住んでいた
家を空けて逃げなければならなかった。
その頃、家では「ナチ」という白くてふさふさした大きな犬を飼っていた。
ナチ、というと当時のナチス・ドイツからの命名のようだけれど、
和歌山の「那智」から取って付けた名前。
ナチを連れて行くことは出来なかったから、つなを放して逃避行を始めた。

ひと月ほど後、ふたたび家へ戻った時、家の玄関の前にナチが
座って待っていた。その時のナチの喜びようといったら・・・、
忘れることができない。
近所の人がエサを上げてくれて生き延びていたらしい。
だけど、エサだけもらうといつも玄関の前に戻って、僕らを待っていたらしい。

その後すぐ僕たち家族は、蒋介石の軍の航空機に乗せられて北京へ行けることになった。
しかしナチは一緒に乗せて行くことはできなかった。だから、家に置いてきた。
北京からはトロッコで南下し、信濃丸に乗って日本へ帰ってくることができた。
ナチのことを思うと、それ以来犬を飼うことは出来なかった。
きょうの映画を観ながら、あの頃のことを思い出しました。

男性は当時の情景がよみがえってきたのか、話しながら目に涙を浮かべていました。
戦争、そして原発事故。
人間の暴力が猛威をふるう時、たくさんの人びとの犠牲とともに、
数も数えられずに犠牲になった動物たちが、声もなく埋もれている。
68年前、満州の地で行方知らずになった「ナチ」と、
2011年からいまにつづく福島の動物たち。
争う心に囚われている限り、人の世はこれからも新たな「ナチ」と、
新たな「福島の動物たち」の記録を書き継いでいく。

書き継ぐ自由とともに、僕たちには記録を閉じる自由も与えられている。
どちらの自由も、選べるのは僕たちしかいない。

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