犬と猫と人間と2 監督メッセージ

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製作に寄せて.ai

監督.ai

 大震災発生の日、私は東京の福祉施設で働いていました。東京も大きな余震がつづき、私が勤めていた施設でも、急遽利用者さんの避難訓練などの確認作業などが始まり、とても忙しく、震災のことは時折聴こえてくるテレビのニュースで知るばかりのものでした。
3月14日の夜。
仕事を終え、馴染みの定食屋で遅い夕食を食べていた時、私はふと目に付いたスポーツ新聞を手に取りました。その記事のひとつに、津波によって家族を失い、避難所で途方に暮れている、宮城県名取市の被災者の苦境を書いた写真と一文がありました。名取市は私の実家があるところです。
その苦境を伝える記事は短いものでしたが、読みながら、肚の奥の方に言葉にできない感情が沸き立ちました。「帰りたい。帰って土地の人が生きる姿を記録したい」そう強く思いました。
3月19日。職場の理解もあり、私は4ヶ月間の休職期間をいただき東京を後にしました。交通が寸断されている宮城県へ向かうため、上野駅から上越新幹線で新潟へ北上し、新潟からバスで、でこぼこ道の高速道路を仙台へと向かいました。仙台駅に着くと、タクシーに乗り名取市役所へと向かいました。
名取市は宮城県の沿岸部、仙台市の南隣に位置する人口7万人あまりの市です。
市役所へ到着するや、入口に所狭しと貼られた手づくりの貼り紙が、目に飛び込んできました。それは人々の誰彼が家族や親戚、友人や知人へ宛てた手書きのメッセージでした。
今ここで起きていることが、にわかには信じがたい光景でした。
市役所へ入ると、そこには何枚もの大きな名簿のようなものが、壁一面に貼りだされていました。それは、見つかった遺体の特徴や名前を書き出した紙でした。その貼り紙の前で、押し黙った人々が、一心に肉親の安否を探していました。
 「これじゃないか」
「あった、あったよ」





そこで静かに交わされている会話はとても抑制的で、どうかすると事務的に聞こえました。それが逆に、強く印象に残りました。貼り紙の中に、見知った名前が書かれていないことを祈りながらも、名簿をたどるたくさんの指は、時々張り付いたように止まりました。
市役所から海の方へ向かい歩いてみました。
海が近づくに連れて、油と潮が混じりあった臭いがこびりついたように漂いはじめ、歩道には散乱した松の木が見えてきました。泥で汚れた写真や靴が無造作に転がり、上空には自衛隊のヘリの音がひっきりなしに聞こえていました。
壊れ果てた街を前にカメラを回しながら、心塞がれる思いで立ち尽くしていた時でした。突然、カメラの前を1匹の茶色くすすけた犬が、とぼとぼと走り去っていきました。
心細そうに辺りを見やりながら、犬は、道路をまっすぐに駆けていきました。
「動物たちも被災していた」
そう感じた私は、その犬の後姿をじっと見つめていました。
「どこへ行くのだろう」
犬は自分の帰るべき家を知っているようでした。
数日後、学生時代からお世話になっていた映画監督の飯田基晴さんから、
「宮城県石巻市にある”アニマルクラブ石巻”が5月に『犬と猫と人間と』を自主上映してくれる予定だったのだけど、代表の阿部智子さんと連絡が取れない。石巻を訪ねてみてくれませんか?」というお申し出をいただきました。
私は快諾し、3月26日、アニマルクラブを訪ね、無事で元気な姿の阿部智子さんと出会うことになりました。その日阿部さんから、石巻や周辺地域の動物たちや動物たちに関わる人々が置かれている苦境を教えられた私は、「記録させて下さい」と言うより先に、「お手伝いすることがあれば仰って下さい」と伝えました。
この日から、私は半分ボランティア、半分記録者として、動物たちの取材をはじめることになりました。
2012年7月28日 宍戸 大裕  

チッチ(Sora).jpg五井恵里さん.jpg希望の牧場(浪江町).jpg警戒区域の犬.jpg

プロデ.ai

 若い作り手仲間、宍戸大裕さんが取り組んでいる、東日本大震災で被災した動物と人々を描くドキュメンタリー映画「動物たちの大震災」にプロデューサーとして関わってきました。
きっかけは震災直後、宍戸さんからの電話です。
東京で福祉施設に勤めていた宍戸さんは、震災直後に休職し、生まれ故郷の宮城県名取市に戻ることを決意しました。
地元の惨状に心を痛め、そこに生きる人々の姿を記録していきたいと語る宍戸さんに、僕は応援していくことを約束しました。
3月19日に故郷に戻った宍戸さんはその後、精力的に各地を見てまわりながら、取材を始めます。そして、元々自然や動物が好きだった宍戸さんの取材は、ひとつの出会いから急速に被災地の動物たちに向かっていきます。
宮城県石巻市で長年、動物愛護の活動をしてきたアニマルクラブ石巻の代表、阿部智子さんとの出会いです。
阿部さんはこの年の5月に映画「犬と猫と人間と」の上映会を企画していました。石巻は今回の震災で壊滅的な被害を受けた沿岸部の街です。もちろん上映会どころではありません。石巻を訪れるという宍戸さんに、僕は阿部さんのところに寄って様子を見てほしいと頼みました。
自らも被災しながら懸命に動物たちを救う阿部さんに出会ったことで、宍戸さんの取材は被災地の動物たちにシフトしていきました。つまり映画「犬と猫と人間と」が取り結んだ縁でもあります。





そして、宍戸さんは、事故を起こした福島第一原発の20キロ圏内に取り残された動物の取材も始めるようになりました。
じっくりと取材を続ける宍戸さんにアドバイスをし、撮影した映像を見せてもらうなかで、僕は作品として世に出せるよう支えたいと思いを強め、プロデューサーとしてかかわることにしました。
「犬と猫と人間と」は、多くの人々の協力のもとで広がっていきました。その意味で、自分だけの作品とは思っていませんし、自分がプロデューサーを務めるとはいえ、仲間の作品にこのタイトルをつけることには迷いもありました。
でも僕はいま多くの人々に、この作品を届けたいと思っています。
そして、「犬と猫と人間と」を応援してくれた人たちに、あらためてこの新作を支えてもらえたらと願っています。その願いを込めて、宍戸さんの作品に、
「犬と猫と人間と2 動物たちの大震災」
と名づけさせてもらいました。どうか応援をお願いいたします。
2012年7月19日 飯田基晴