お好み焼屋を営む小暮さんの店には、津波が一階天井まで達した。その店の前に現れた2匹の野良猫。津波を生き延びた2匹を、小暮さんはどちらも「みーちゃん」と呼びエサをやっていた。オスのみーちゃんとの別れは、小暮さんに変化をもたらした。残ったメスのみーちゃんは、次第に野良猫から小暮さんの家族になっていく。
震災当日、愛犬コロスケを先頭に近くの学校へと避難した磯崎夫妻。だが、津波はコロスケだけをのみ込んだ。さら地となった家の跡で、2人はコロスケの想い出を語る。忘れたい、忘れたくない。さまざまに揺れるコロスケへのふたつの思いを抱きながら2人は震災後を生きていた。
震災から数日後、ようやく家に帰ることが出来た小野夫妻。だがそこに愛犬モモの姿はなかった。それからひと月後、震災翌日にモモを見たという情報を聞いた2人は、その行方を必死に探していた。そして1年半が経ち、夫妻は一枚の絵と出会う。
浪江町でひとり暮らす今野さんにとって、愛犬チビタは、亡きご主人の忘れ形見。放射能汚染の拡大とともに今野さんは自宅からの避難を余儀なくされ、チビタもまたSORAへと預けられた。浪江の自宅は、依然として高い値の放射線量を示す。今野さんとチビタの、離れ離れの暮らしは続く。
大熊町の佐藤さんは、ボランティアと協力して原発事故以来別れてしまった愛猫ミーを探し続けている。自宅周辺には倒壊した家屋が手付かずに残されていた。人が行方不明の状況で猫を探すことへのためらいを口にしながらも、「それでも家族っていうか、俺にとってはかけがえのない猫だから」、と佐藤さんはミーへの想いを語る。
宮城県石巻市で30年以上活動をつづける。捨てられた犬や猫の里親探しや、週2回不妊手術やワクチン等を実施する病院事業、動物との共存を啓発するパネル展示などを行う。現在、猫80匹余、犬5匹を保護している。
http://a-c.sub.jp
2006年設立。福島市内で、原発事故によって飼主からはぐれたり、避難住民から預けられた犬や猫を保護するシェルターを運営する。警戒区域で200匹余りの犬と猫を保護、現在もシェルターには犬30匹前後、猫20匹前後が避難生活を送る。県外からのボランティアも多数訪れる。
http://sora.ne.jp
2011年設立。いわき市内で、原発事故のため警戒区域に置いて行かれた犬や猫を保護するシェルターを運営する。現在も同区域で、給餌と保護活動をつづける。シェルターには犬と猫合わせて30匹前後を保護している。
http://www.lysta.org
警戒区域に指定された浪江町で2011年7月に発足。「原発事故の生き証人」として、被ばくした牛350頭余りを飼養している。代表の吉沢正己さんを中心に積極的な情報発信を続け、全国の街頭や講演会などで被ばく牛を生かす意味や原発事故の責任を問い掛けている。
http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp
2012年2月、楢葉町の畜産農家を支援するボランティアグループが発足させた「ファーム・アルカディア」が前身。同年7月からは、畜産農家から60頭余りの牛を引き取り、浪江町の希望の牧場の敷地を借りて飼養を続ける。現在は岡田久子さんが農家登録をし、代表を務める。被ばく牛の終生飼養を目標としている。
http://ameblo.jp/yamayurifarm
震災で亡くなった動物の絵を展示する展覧会。絵本作家や画家、イラストレーターなどがボランティアで参加し、絵は展覧会終了後、飼主へプレゼントされる。パート2まで行われ、日本だけでなく海外でも巡回されている。「亡くなった動物の心と残された人間の心をつなぐこと」、そして「動物も人間も同じ命であり大切な家族であると伝えること」を目的とする。
http://www.chiisanainochi.com